ゴールデンウィークまであとわずか。正確にはあと一日。あくまで当事務所の話しだが。いよいよあわただしくなってきました。
ぜーんぜん関係ない話しをすこししようと思うんですが,今日ある経営者の方と話していて,従業員には体育会系がいいね,などという発言を耳にした。そんな今日,あるメディアで,就職特集のようなものがやっていて,体育会系が,文化系云々が,という議論があった。ご存じの通り大手の金融会社や商社などでは大学の運動部というのは非常に採用で優遇されることがあるらしいのですが,そんなのおかしいとかそうでないとか議論をしていた。
私としては,その体育会系大歓迎という派閥?に属しているわけでして,一方に肩入れして聞いてたんですが,体育会系は,「単に体育会系だからといって」,などと言われるほど生やさしくないわけであり,とても価値あることなんじゃないか,と考えています。特に社会人生活をしばらく続けてくると,やはり体育会系はよいね,という話しが理解もできるようになるし,自分の中でも確かな理論として定着したりなどします。
それは何故か。
ちょっと独断で考察するとして,体育会系の効用というものをぱらぱらと考えてみました。だいたい以下程度が想起される次第である。
1 ストレス耐性がすこぶる高い
2 体力がある,集中力や即断力がある
3 ケンカに強い
4 社会を理解できる,とりわけ集団スポーツでは
5 プロジェクト遂行能力がつく
1 ストレス耐性がすこぶる高い
スポーツには大変なストレスがある。練習しないといけないストレス,休みがとれないストレス,ルールを守るストレス,試合がせまったストレス,試合中の超緊張状態のストレス,先輩後輩のストレス,レギュラー争いのストレス,先生との関係性のストレス,人間関係の不合理がもたらすストレス,運動部なら他の部との関係性(場所を奪い合ったり,プライドをぶつけあったり)のストレス,,,等々ストレスに事欠かない。このようなストレスを日々感じながら,それを乗り越え,あるいはうまくかわし,長期間の生活を送ることは生やさしくない。非常に大変といえる。スポーツを真剣にやればやるほど,そのストレスは右肩上がりである。幼少より,たとえば大学までこれを感じ続け,クリアしてきた人間は尊敬に値する。そしてそのストレス耐性は,混沌とした現実社会を生き抜くうえで非常に大切である。
2 体力がある,集中力や即断力がある
(1) 体力
体力をバカにしてはいけない。体力には肉体の筋力,基礎体力,脳の体力,集中力,集中力を持続する力,それらすべてを含む。これらがいかほど重要か,はっきり申し上げて,仕事はそれらが全てである。能力など大した問題ではない,,というと語弊があるが,それらを持ち続けて努力することによって,必然と能力は昇華するのだ。
例えば次から次への仕事が押し掛けてきたときそれを淡々と処理できるか,すぐ疲れた,なんて言わないで。これには脳の体力と体の体力と精神力といういわば心の体力が必要だ。夏の暑い日に外回りをして,すぐ疲れたなんていわないか。暑いなんていわないか。スポーツをしていたものなら,こんなことは何でもないのだ。
スポーツとはしんどい思いをするものだ。いやしんどくてしんどくて,息が切れて,そこからどれだけがんばれるかがスポーツだ。それが本質なのだ。であれば,このようなしんどさを長年乗り越えることのみを生活にしていたものと,そうでないものの体力が天地の差であるのは自明の理である。
(2) 集中力,即断力
集中力は重要だ。極めて重要だ。そして集中力を持続できる力も重要だ。本当に重要だ。集中力がなければ,大した仕事をすることができないし,すばやく仕事をすることができないし,ミスない仕事をすることもできない。ここぞというときに周りが見えなくなるくらい集中する力,これはスポーツによって鍛えられる。これは説明不要だ。臨戦態勢のスポーツ選手が集中力を欠くことがあろうか,いやない。そして集中力を一日の多くの時間持続できなければまたその効力は薄いが,持続力もスポーツが鍛えることに疑いない。
そして即断力。仕事の局面において,ゆっくりした判断なら誰でもできる。時は金なり,スピードこそ仕事の最大の武器である。スピードはそれほど価値のあることであり,それ自体が攻撃力である。民間企業の仕事において労働力の評価とは時間単位の仕事量で決せられるといっても過言ではない。それから追いつめられたある局面,右か左か,それを即断する力,しかも正しく決断する力,これは大切だ。それらはスポーツによって鍛えられる。スポーツの大半がスピードそのものを争い続けるわけであり,スポーツの本質論であるからだし,パスを誰に出すか,どのスピードで出すか,様々な局面で即断力を求められるのがスポーツであるからだ。以上長年集中力と即断力の渦にいるものとそうでないものの間に能力差がでるのは火を見るより何とかだろう。
3 ケンカに強い
スポーツとは戦争である。自分との戦争,敵やライバル(チーム)との戦争,レギュラー争い等チーム内での戦争,教師監督コーチとの戦争?,,,NFLが戦争ゲームなのは有名だが,他のスポーツもしかり。日々戦いをするのがスポーツ。
対して社会も戦争だ(語弊があるといかんが)。ユートピア思想は別として,決して現在の日本社会を前提としなくても,仮に共産主義をとったとしても,そこに戦争的一面が繰り返されることに相違ない。社会は人間によって構成される。そして人間は個々に異なる。貴重な個性がある。故に社会から戦争的一面,競争的一面が根絶されることは無い。そして,よりよく生きるには,その社会における戦争において全てにとはいわないが,或程度の勝率が要求されるのだ。
さてスポーツは戦争だ。常にそのような現実的,あるいは仮想敵とのバトルを繰り返しながら人生の一部分を歩んだ人間と,そうでないものの間には戦闘力に看過できないほどの差があるものだ。スポーツをやっている(いた)ものはケンカが強い。これは個人的に真理ではないかと思う。ほんとのケンカじゃない,社会におけるケンカである。
4 社会を理解できる,とりわけ集団スポーツでは
野球やその他集団スポーツとは,文字通り集団で行うスポーツであり,集団には政治が付き物である。リーダーがいて,とりまきがいて,はぐれものがいて,へんてこなバカがいて,なんの害にも得にもならない中立的なやつがいて,,,幼少時代の人間,子供,非社会人にとっては,その集団が社会そのものであり,本気の利害関係がぶつかり合う精神の格闘場である。
このような貴重な政治学校はスポーツをおいて他にないと思われる。とりわけ幼少期のスポーツを置いては他にないのではないか。幼少であるが故,小さいが故に,その感受性も鋭敏で,どうやってその集団で自分を見いだしていくかに日々悩むのである。この悩みは貴い。これがその後の人生における自分の位置さがしにほぼパラレルに反映されているような気がしてならない。もちろん突然変異もいるが,それは相当な努力を要する。したがって,幼少からすでに政治を学んだ若者と,そうでない若者に,計り知れない政治力の乖離を見いだすのである。
5 プロジェクト遂行能力がつく
何も技術的,技巧的なことを言っているのではない。一定の目的のためにどのように段取りをして自分を高め目的地まで自分を運ぶのか,それを言っているのである。より早く走り,より高く飛び,よりシュート力をつけ,より持久力をつけるには,不断の努力がかかせない。努力ないところに実力はまた無しである。
これは頭ではみな理解できる。しかし肌で感じることができるか。そして実行できるかどうか。そこに人間の進歩の程度はかからしめられている。
スポーツをし,毎日筋力トレーニングをし,単純なドリブルの練習を繰り返し,体力の限界点をしってそれを日々強化する意味を肌でしることができるもの,それはスポーツをする人間である。スポーツをする人間は,自分がやればその分の報酬が得られることを知っている。報酬とはスポーツ能力の向上という果実である。
またスポーツには競技会がある。次々とやってくる。その小さな目標にむかって,まずなにをする,この時期からこれを鍛える,,,と考える段取り力は,社会人には必須の技術である。段取り力の差が,仕事力の差である。ここにおいてもスポーツの効用は計り知れない。
このように,スポーツは賛美されてしかるべきである。真剣にスポーツをする人間は,今以上に評価されるべきだと思っている。相当に信用できる人間が多いように思われる。
ところで私もスポーツをしていた。といっても自慢できるような実績はない。取組みが中途半端で,とても上記の能力を十二分に陶冶したとは言い難い。
それでも,小学校のときは少年野球で県下で有数の厳しさをほこるクラブで鍛えて貰った。というか,毎日怒られていて鬱病になりそうであった。土日はない,寒い冬も雪の中を走り,暑い夏は炎天下でノックとダッシュの嵐である。チームは強いから,レギュラー争いに気をもみ,試合では監督の視線に恐々とする。これがいかほど現在の自分の形成に寄与しているかは,自分が痛いほど感じる次第である。本当にクラブと,両親には感謝というほかない(今となっては)。
中学校高校はバスケット。それほど真剣に取り組んだとは言えないが,それでも朝早く学校にいって毎日山に走りにいったり,日々の練習だってきつかった。やっていて良かったと言い切れる。
この程度の私のスポーツ人生ですら,とても社会人生活に益を出している。もしそれがなかったなら,いや想像すらできないのである。
そうであるならば,例えば大学まで野球やラグビーをしていたものの「総合力」たるや,中途半端な学力など圧倒的に超越した力である。それほどの人間力をもっているはずなのである。大方の仕事など,その総合力があれば,数年でなんとかなるものだ。人生はその先何十年と続くのであるから。
ということで,意味無く長いエントリとなってきたのでそろそろやめますが,まあ自分が人事部なら体育系を「即断」で採用するということを,冒頭で議論をしていたメディアに言いたかったんだ,,,というような今日の記憶の暴露でした。
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