目次
1 2008年の終わりに
(1) 家族
(2) 仕事
(3) 社会
2 2009年の願い
(1) 家族
(2) 仕事
(3) 社会
3 結語
本文
1 2008年の終わりに
(1) 家族
クリスマスにユニバーサルスタジオ(以下、「USJ」という。)に行った。子供と妻と三人で行った。今年のクリスマスは、体調も悪いし、仕事も忙しいし、また妻も出産を控えているということで身重であり、直前までどうするかこうするかと優柔不断を余儀なくされていたところ、あまり肩肘張らずに済まそうという結論を得て、USJに行くことになった。
さて、USJのとあるところで、サンタクロースに扮したスタッフが、子供にプレゼントを渡してくれるという企画があるということを知って、これはということで申し込んで実行してもらった。プレゼントはこちらで購入しておいて、事前にスタッフに渡しておくという手法で、その予定どおり進んだが、実際にやってきたサンタクロースはひげや赤帽子といった意匠以外はえらく若いサンタクロースであり、私たち夫婦よりも相当に若いそれを迎えることになった。サンタクロースを信じている子供であったとしても、このサンタクロースは信じないだろう、いやこれをきっかけとして信じなくなるだろうというような風貌であったが、何しろ我が子は本当に小さく、まだサンタクロースとの面識がないし、サンタクロースなるものが実像を結んでいないので、恥ずかしそうに、信じる心でプレゼントを受け取ってくれた。これから成長して、本当らしいサンタクロースに出合った際に、「こんなおじいちゃんサンタクロースじゃない」なんて言わないように祈ろう。
ところで我が子はクリスマスツリーに非常な興味をもっている。シーズンには至るところでそれを発見して大騒ぎをしていた。我が子が、或るものを、クリスマスツリーであると認定する方法は、何かきらきらと光っている多数の輝きがあること、をもってしているらしく、しまいには王寺町が年中点灯させている街路樹のイルミネーションや、商店のネオンや、居酒屋の灯りすらそれとなる。
「わー、クリマースツリーや」「クリマースツリーやんこれ」「クリマースツリー綺麗ねー」(実際にはもっとかつぜつが悪い)
我が子はそれを「クリマースツリー」と言う。クリスマスツリーであることを何度諭しても、「ちがうやん、クリマースツリー!!なの」と返戻がくる。
「クリマースツリー」
何かとても神聖で輝いた、清新な、新しいものをこの世に発見したような気持ちになる。「クリマースツリー」という新しい何かを。そうか、街路樹やネオンや居酒屋の灯火は、決してクリスマツツリーではないが、「クリマースツリー」でないとは言えないかもしれない。どれもこれも綺麗な、「クリマースツリー」でないとは決して言えない。
さてそろそろそんな風な「眼に入れても痛くない」話はさておき、年末は例のとおり実家に帰った。親は相変わらず元気であり、一見してどうこうというほどの衰えも見せていなかった。いつもと一緒の幸せ、変わらないことの素晴らしさも感じられた。瑣末なことで言い争う夫婦喧嘩(両親の)も健在だったが、そんな変わらなさには元気印が押印されているだろう。
晦日。実家で家族と眺める「ゆく年くる年」を、しみったれたと感じる年齢はいつの間にか去って、それはどうにもこうにも体になじんで、落ち着いて、今年は紅白か何かの加減でこれの時間がかなり短縮されていることを恨んだりするのである。

(2) 仕事
2008年も有り難いことに忙しくさせてもらった。しかし自分で満足の行く仕事ができたかと言えば非常に疑問だ。まだまだ純粋に仕事以外のことに時間を使い過ぎている感が否めない。果たしてスケジュールの管理も、技術者としての技の程度も、係る識見も、低い次元に止まっていると言わざるを得ない。まだまだ改善を、修正をしていかないければならないが、ゆっくりとしている暇はないと感じる。跳躍的な進歩を期したい。
(3) 社会
風雲急を告げ年末になって暗くなった。しかしこんなのは、ずいぶん前に予想されたことだろう。例によって、犯人探しが始まった。経済も、人心も、まるで全ての解法を知っているかのごとくの犯人探しが。わかった風になって安心したいのか、いやそんな確信すらあるようには思えない。
アメリカのせいだろうか。欧州のせいだろうか。
経団連が悪いのだろうか。グローバリズムに押し付けようか。
それとも労働者が怠慢なのか。
末期的なメディアが、末期的に貧しい情報を、一方的に垂れ流している。こんなに末期的であるにもかかわらず、知ってか知らずか、続け続けとばかりにただ続いている。
いつか丸山真男が言った、日本における「作為の契機の不在」(社会は、あるいは権力とは、究極に分かり合えない個性的な人間が(あるいは有限の世界に生きる人間が)、しかしやむなく共存するためにあえて組織したものであり、故にそのわかりあえなさから当然に導かれる幾多の権利の衝突が、数多の弊害が、副作用がいかにしても生ずるのであるが、しかしやむなく共存せざるを得ないという第一の命題を維持するために、それら衝突を、弊害を、副作用を、いかにして緩和し、バランスし、受容していくかという問題こそ重要であるという思想、すなわち、共存のためにあえて作った社会、意図的に作った社会であるから、その存続を前提として、その他の二次的問題の帰着点を探るという思想、そういった思想の不在・欠乏)は、この点に限って言えば、現下にまざまざと実感されざるを得ない。
これから社会がどこへ向かうのかそんなことは誰にも知れない。またそんな不可知と付き合わないのがこの国の良さでもあるわけだが、今度ばかりは少しは整理をしておかないと、この暗さは、ちょっとなんともならないと思う。
2 2009年の願い
(1) 家族
今年は早々、また我が家に新しい子がやってくる予定だ。第一子には、今年の冬、少しは年を取ったサンタクロースが逢いにくるかもしれない。妻は一息つくだろうか、いやいや、より騒がしく忙しくなるだろう。
年末の調子からすれば、両親はまだまだ元気であり(そんな年じゃあないか)、兄弟姉妹ももちろん元気に一年を駆け抜けるだろう。
皆、今年も昨年と同じように、とにかく元気で、無事に、一年が過ごせればいいと思う。少しくらいなら体調を崩したって、それが故に家族のやさしさ、大切さが身にしみれば、逆に心に有り難いくらいのものだ。少しくらいなら。
以上それだけで十分。他に何も望むことはない。
(2) 仕事
仕事はどうか。今年は、いや当面は、以下のような高い目標を掲げたいと思う。
「当たり前のことを当たり前にする」
「小さな約束を履行する」
「目の前の課題を確実に果たす」
「規則正しい生活をする」
など。
なんだつまらない、そんなことか、と言うべからず。
声高に何かを叫ぶにあらず、抽象的規範で牽引するにあらず。自分に確実に訪れる毎日の仕事や生活を、当たり前に、素直に回していく。時間を守り、期限を守り、小さな約束を履行する。遠くの人間に不実の賞賛を受けるより、身近な人間に信頼されるものになろう。当たり前のことを当たり前に。実はこんなことのほうが、よほど難易度が高いのだ。
偽者が多すぎる世の中に(自戒を込めて)、本物へのわずかな一歩を踏み出す。そんな一年のために今年は頑張りたいと思う。
(3) 社会
年始、以下のCDを聞き返した。

三島由紀夫 最後の言葉 対談 三島由紀夫 古林尚
私が大切にしている音源の一つである。
この対談テープは、1970年11月18日、東京・馬込の三島宅で収録されたもので、新潮社の装丁に印されたコピーには、以下のようにある。
「陸上自衛隊市ケ谷駐屯地で劇的な死を遂げる一週間前、三島由紀夫は思想的立場を異にする評論家古林尚氏と対談した。すでに辞世の意を固めていた彼は、自らの人生と文学を総括すべく、芸術から政治までを極めて饒舌に語った。これは三島にとって最後の仕事であり、遺言といってもいい声の記録である。」
死に際しては、人間は、本当のことを語ることがあると思う。死に際して、人間は、多くの嘘を語ることがあると思う。しかし嘘であれ、本当であれ、死に際してのそれは、真実や、美しさや、恐ろしさや、なにか一面の言われぬものを持っていると思う。
この音源には、そういったものが全編に出ている。三島由紀夫は冴えている。声は清らかにその場を圧している。
全編に面白いが、途中にひとつ興味深いくだりがある。要しておよそ以下のようなことを話している。
「僕は弱いものを救おうという気持ちは美しいと思う。道端で泣いている人があれば僕だって救う。しかし自分の任務はどうだ、弱いものを救うのは僕のミッションとは思われない。僕は弱さっていうものはね、そっとしておけば宜しいと思う。今ほど人間の強がろうとするモラルが貶められ、軽蔑されている時代はない。それを復活するのが自分のミッションだと思う、、、、」
弱さはそっとしておけばいいとは、やさしく強いものしか紡げない言葉だ。また弱さを自分のものとして知ったものにしか紡げない言葉でもある。
しかして、目の前に弱いものが居れば僕だって助けるというのだ。
人間が強がろうとするモラール(粗暴な権力などではなく、「強がろうとするモラール」である)が軽侮されているのは、四十年弱経った今も、何ら変わってはいない。
皆強くなろうと推奨することは実に健全なことだと思う。しかし強いものを引きずり降ろそうと訴えることは健全ではないだろう。そういったことは、勇気あるものが、一人二人とただ実践すればいい。やがて社会は変わる。血を流さなければ何も変わらないだろう。
皆で弱者となろうと推奨することは別段かまわないことだと思う。風変わりだが、そんなことがあってもいいだろう。しかし弱いものを救えというこのことは、抽象的に用いてはならないと思う。これもまた、勇気あるものが、一人二人とただ実践すればいい。やがて社会は変わる。そうでなければ、何かが変わることはないだろう。
三島由紀夫と古林尚。二人は思想的立場を全く異にした。古林尚は三島由紀夫を一貫して批判した。
しかし、死に接続して何かが変わった。
立場を違えて最後に二人は総合された。まるで心地よく一つになった。
そこには、散り際の「作為の契機」が、はかなくも美しく、そして確かに、在りすぎるほどに存在した。
大きくて複雑な日本の社会も、こんな風になっていけばいいと思った。
3 結語
本年まだまだ始まったばかり。
真正面から考え、真面目に頑張っていこうと思います。
何卒宜しくお願い申し上げます。

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