不思議なことがあった。
25日の午後、期日で裁判所に出頭したが少し早めについてしまったので駐車場で時間をつぶすことにした。数十分ほど時間ができたので、丁度読みかけの本に手をつけた。
車は裁判所の裏手の駐車場に停車した。そこには十数台の車と、眼前の大きな庁舎の建物と、万全の日差しのみがあった。読みかけの本は、ある意味の個室という静かな環境も手伝って、相当の速度で正順に読み進んだ。
丁度そのとき、駐車場から一段上った小高い芝生に「鹿」がはみ出してきた。その駐車場は道路に面している。そこからこの地の日常である鹿が、あらゆる私有地、公有地に分け入ってくるのは、それもまたこの地の日常風景である。何ということはない、本から鹿に、鹿から本に、再び視線を巡回して、そのまま先に進めると思ったそのときだった。ふと鹿をもう一度眺めた。暖かい日差しにその背がきらめきわたっていて、何かが反射したようで、そういった注意からもう一度眺めたに過ぎない。
鹿は四つ足を均等に踏みしめて、しばらく同じ場所に固定していた。相手方の視線はこちらにあった。いくらかの時がそのままに経過して、だんだんと不思議な感覚が湧き上がってきた。視線を交わした鹿との間に、何かが通じたような心持がしないではなかった。
鹿が車に見えてきた。本当の車はすぐとなりにたくさん、平行に並んでいる。四つ足で地面に固着する姿は何ら違いがないように映ってくる。鹿はどんどん大きくなった。茶褐色の塗装、なまめかしい流線型、鈍く光る眼。鹿に匹敵して映えてくるのは、少し離れたメルセデスと、ベーエムヴェーと、アルファロメオのみであった。日本車はからっきし駄目であった。容姿が空しかった。
そうこうしていると、今度は鹿も、車も、裁判所の図体も、電柱も木々も、風景全部が同じものに見えてきた。一体何の違いがあるというのだ。そういう確信が内側から来た。動物か静物か、有機か無機か、そんな分類は何の意味もなかった。鹿の眼を中心に据えた構図の中で、全てが静止していた。鹿の漆黒の眼は、宇宙のように、いや世界のように、全ての中心をなしているように思われた。またその黒は、ほんの一点から何処か圧倒的な広さに向かって静かに拡散するようでもあった。
ふと車のクラクションという日常が、以上のような不思議な次元に強制的に介入した。私は自我を回復した。
果たして、予定どおり裁判所の期日を経過することができたのである。
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