8月は暑いですね。今年はとりわけそう感じます。少しアスファルトの上を歩くと、「これでよしとしていいんだろうか」という疑問すら感ずる。少なくともすぐにどうこうできる問題ではないので、なんとかこれと付き合わざるを得ませんが。

兵庫県三田市。週末に妻の実家に帰省しました。思いがけず、三田祭り(だったかな)という祭事が執り行われていて、高台にある妻の実家から丁度見下ろせる、按配のほどよい距離に花火が打ちあがることを知る。嫌いではない私は、都合よく設置されたその実家のウッドデッキに、子供を抱えて定刻に居座ることになります。
いつのまにかこの付近は、この花火をよく見通せるということで人が参集するようになったそうであり、その中でも私有地からこれを眺めることができるということに、小さな優越感を満足させたりもする。
さて定刻に花火はあがる。
しばらく花火らしい花火を鑑賞していないので、きっかけはやはり単純に驚いたりする。続いて過去に見た花火の映像、その当時の感傷、いろいろなものが次から次へと襲って来て、よくある正当な花火の眺め方というものを味わった後、やっぱりあるひとつのことを考えてしまうのである。
それは、花火が花火として美しかったのはいつの頃だろうということ。花火が花火として切なかったのはいつの日のことだったろうかということ。花火が花火の中に含んでいた憂いはどこに行ってしまったのだろうということ。
この三田の花火も、開始時刻も終了時刻も皆が知るところの中、世の例に漏れず、先の閃光が残した煙幕の中に苦しそうに次の光がくすぶり、次々と打ち上げられ、タイムスケジュールに沿ってせわしなく繰り返されるお決まりの演目のように見える。毎年のルーティンと化した繰り返しのイベント。そこには驚くべき新技術の披露も、反面の散りの美学もない。
私にとっての花火は、美しさと儚さの同居したもの。すっと生まれては眩しく咲き誇り、名残惜しさを振り切って消え行く美の表象。シチュエーションには例えば小さな川と、小さな橋と、水風船と浴衣と、ほどよく蒸せる夏の宵の入り口があるのである。ぽつりぽつり、数えうるほどに希少な価値で打ちあがるしっとりとした夜空の灯火があるのである。
そうした、花火を取り巻く風景が、花火の「本質に適う」ものであり、そうではない現状は本質を逸脱した亜流であると信じて疑わなかった。過日までは。
その過日。打ち上げ花火の歴史を少し調べてみると、花火の歴史は古く中国であると伝えられるところで、当時は武器と判然区別できないものであったらしい。13世紀頃から欧州に渡り、その後広く欧州に伝播し、王侯貴族の権威を体現するものとして使用されていった。日本においては諸説あるが、宗教的契機(宣教の)であるとか、まさに現在のように祭事や催事であるとか、権勢を誇るものであるとかの説が賑やかである。しかし我が国においては、およそ江戸時代より以降、やはり現在のように賑やかな人寄せとして使用されていたように思われる。欧州から日本において、どうやら連綿と賑やかな仕方で花火は使用されてきたらしい。
あれ、ちょっと待てよ。そうであれば、私が個人的に花火に抱いていたあの特定のイメージは決して普遍的なものではなく、よって決して確定した「本質」などでは有り得ないことになる。どんな花火が花火らしいかというこのような単純なことにおいてすら、個々人における認知に相当の差異を保持しているということになるようである。いわんや社会の複雑事情においてをや。気をつけなければならない。
ところで「花火は儚い仕方で美しいもの」という観念は、私の世代が大方において共有するものか、それとも個人的な思い入れなのか。
いずれにしろ、花火に対するこの固有のイメージは、長い歴史の尺度に引き直したとき、ごく主観的なあるものの投影に過ぎないのかもしれない。
さてここから何を学ぶか。
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