
痛快憲法学を紹介します。
最近改めて読み返してみて、やはりなかなかよく出来た本だ。
偉人、小室直樹教授らしく、このような体裁の本をこそ上梓して、書中で悠々と語っている姿は、まさに偉人が異人とときに読み替えられたる所以ではなかろうか。
なんともふざけた装丁。しかし中身はちっともふざけていない。言葉はつとめて柔らかいが、内容はストレートに硬質である。
本書は、著者という憲法の語り手と、「シマジくん」という聞き手(これはまさに平和ボケをした日本人を模したかのようなキャラクタ)の対話(といってもほとんど著者が語りつづけるのだが)において、憲法と民主主義の成り立ちを、欧米史の流れを追って思想的・宗教的・社会学的見地から鋭く本質的に決定付けていくという内容となっている。現行憲法の無味乾燥とした解釈学などではない、欧州の熾烈な階級社会と宗教性、そして止むことの無い戦争、そこにこそある血なまぐさい憲法の出自をあぶりだしていくような、簡単な歴史書、思想史の書だと考えれば近い。明治憲法以来の日本への導入過程についても触れられる。
リアリティもこれという認識も無いのに憲法と民主主義という普遍・久遠のお題目を唱えればそれだけで反論を許さないというようなありがちで浅はかな憲法観に鉄槌を下す役割も担う。
「読者の中には「法律の本なのに、どうしてこんなに西洋史の話が多いのだろう」とびっくりされる方も少なくないでしょう。それどころかキリスト教や旧約聖書の講義まで出てくるのですから、ますます仰天するに違いありません。しかし、読み進めていくうちにきっとお分かりになるでしょうが、憲法も民主主義も、けっして「人類普遍の原理」(日本国憲法前文)などではありません。これら2つは近代欧米社会という特殊な環境があって、はじめて誕生したものですから、憲法を知るには、欧米社会の歴史と、その根本にあるキリスト教の理解が不可欠なのです。」
導入の一文が著者の問題意識を端的に表している。憲法の来歴と本当の意味を知り、価値を知って、真実の民主主義を実現しよう。まさにそのために、本書を俗世にこそ問うのだ。国民よ目を覚ませと。大切なことを伝えるためには装丁になどこだわらない堅固な意思。その意思はどこから来るのか。
それは、近代社会への愛着と憲法への信頼があり、それがあればこそ形のみをことさらに整え実質は一向に伴わない現下のこの国への辛辣な憂いと、その変更への熱烈な願い、教育者としての、そして一国民としての叫びからではないだろうか。
「私の見るところ、日本国憲法はすでに死んでいます。もはや現代日本には民主主義もなければ、それどころか資本主義もない。日本国には憲法はない!」
「今、日本で改憲・護憲のいろんな議論が行われていますが、ともすれば不毛な議論に終わってしまいがちなのは、すべて「憲法は生き物である」ということが忘れられているからです。もし、日本国憲法が死んでいるとすれば、護憲も改憲もあったものではありません。死んだ憲法を今さら守ってどうするのですか。「憲法の墓守」をして、何の意味があるというのでしょう。また死んだ憲法の条文を改正しても、いったい何の価値があるのでしょう。」
著者はこのように憲法の死を宣言してから、「欧米社会の近代成立過程」「日本への近代システムの移植」「日本における近代の死」という本文へ筆を進めていくのである。
西洋においていわば下部構造の発達と、宗教改革によって力を得たプロテスタンティズム(予定説)が、神と民衆を直接の関係に結び、絶対的な神の下における神以外のあらゆる人間の平等を基礎付けて階級社会を破壊し、民主主義を推進した。自由を得た民衆の活動は、宗教的に正当化された利潤を拡大して社会は富み、富みをもって富みを拡大する資本主義は勃興した。
そのような西洋に追いつくという不可避の目標のために、日本においては旧来の尊王思想を高度に純化して一点に焦点を当て、天皇の下における国民階平等を実現した。神国日本としての仕組みを整理して予定説も導入した。もう恐れるものはない。伊藤博文の読みどおり資本主義の精神を短期間に纏い日本の奇跡の近代化は加速した。
さて、日本における近代が死んだのは、著者によれば日本の近代システムの機軸たる天皇教を廃止したこと。すなわち天皇が神ではなくなったことに全ての源泉を汲むという。近代システムの機軸を欠いたところへ、近代憲法をもちこんだGHQの誤解(WASPを欠いたアメリカのようなもの)が、今日の日本における憲法の死とアノミーをもたらしたという。機軸たる超越者を置かない階平等、宗教性を欠いた近代などありうるはずが無いと著者はいう。
納得できる分析である。まったくそのとおりであろうと思う。
しかし、あの近代、あの民主主義、あの資本主義に戻る方法は定かではない。同じ道は歩めないだろうと思う。一度破綻しているし、このように情報が瞬時に体に回る現代においてあのように純粋にはもうなれない。また、あの時代に引き返すことが採るべき道か、それは甚だ疑問である。
結局その先が、すなわち死んだ憲法を蘇生する方法が本書で示されるわけではない。著者も次のように念を押すところである。
「戦後日本のそもそもの失敗もそこにあった。日本人はアメリカが与えた憲法があれば、民主主義が手に入ると思ってしまった。」
「今から150年前の日本人は、浦賀沖にペリーの黒船が来たとき、「このままでは日本は滅びる」という現実を直視しました。」
「今の日本は、まさにそれと同じです。このままでは日本は滅びるしかない。」
「今の日本に憲法もなければデモクラシーもない。それは明治維新と同じではないですか。少なくとも、あのときの日本人は明治維新に成功した。彼らにできて、われわれにできないはずはない。」
「その覚悟ができたら、次は自分なりに考えて第一歩を踏み出すのです。」
護憲改憲言っている場合ではない、憲法を知って、本邦につき憲法も近代もそもそも死んでいるという現状認識と、その先を考え実現するのは自分たちなのだというリアリティを肌身に刷り込むことが本書の目的であろう。
改めて目を通してみて、およそ目的を達しうる内容である。
|