さあ!2008年のゴールデンウィーク到来。明日からその前半を迎える。当所も世間相当にお休みをいただきますので宜しくお願いします。なお、スケジュール詳細は、トップページご参照。
さて、、、今年は何をしようか。例によって帰省をしたりなどというスケジュールが当然のように確定しているが、その他の部分が未処分。故に、その部分をゆっくりじっくり処分したい。さあどうしよう。
そうだ、というかやっぱり今年は本を読もう。休みが終了して、その明ける週の初めには、ほんの少しだけ成長している自分を実現したいと思う。
そのように、大切に過ごそう。

はじめての構造主義 橋爪大三郎
構造主義に属すると言われる学者の本をこれまでいくつか読んでみて、それでもなお「構造主義」とはなんだ??という疑問が継続していたので、とりあえず手にとる。
この本、三章構成。
はじめに、「「構造主義」とはなにか」という章で、それを取り巻く時代状況、学問的状況の大づかみがなされる。
次章では、構造主義の旗手といわれる人類学者レヴィ=ストロースの業績、すなわち「親族理論」や「神話理論」の要諦を具体的に紹介するという形で、構造主義といわれる学問の実体・実際を、輪郭を、一つの代表的な手法を、具体的な仕方を、紹介している。
そして本書の実質的終章である第三章「構造主義のルーツ」は、前章で見たその実際が、第一章でみた構造主義が、学問的にどのようなルーツをもつものなのか、そして歴史の終点たる現代においてどいう位置付けられ、どれほどの意味をもつのかということを、ヨーロッパ思想史、科学史の大河の流れの中で洋々と展開する本書のメインイベントとなる。見事。
本書はとにかく文章が軽快で適切。非常にわかりやすい。
だから、「構造主義」という言葉を、教養として、大雑把に掴みたい人には絶対的にお勧めします。
だけれども、だからといって、「構造主義」が腑に落ちるかどうかとは別問題。
社会における「無意識的、集合的な枠組みの存在」「要素と要素とからなる全体で、変化しつつも不変の特性を保持する枠組みの存在」すなわち、いわゆる「構造」の存在を主張し、文化の相対を肯定することに尽きるのが構造主義である(と思う)。
構造主義はやはり哲学ではないな。構造の存在を肯定し、あらゆる多様性の価値を認めたとして、「で、結局どうなのだ」「だから、どうしたらいいのだ」ということについて答えを試みることがないからだ。
素人が本書を読んでみてやはり感じるのは、近代の啓蒙から眼が覚めて、その絶対性が揺らいだとして、「ゆらいでいますよね」と認識して確認するのがポストモダン(構造主義やポスト構造主義)であり、どれほど難しい議論がなされようとも、やっぱりそれ以上でもそれ以下でもない気がする。やはりポストはポストなのであり、決して正道ではないのであり、その延長線上には、新しく活気に満ちた逞しい世界は描かれていないし、来ないのだろう、という気がする。よくわからないが。
そんな次第で、歴史のパースペクティブからして時代が大きく動くにはまだ数百年かかるか、とも思われる。思想が解りやすく熱気を帯びていないから。だけれども反面、いやいや思想なんて尻目にして、すぐにでも実体の先行が世界を動かすようにも思われる。
いろいろ本を読んでいると、ますます解らなくなる今という時代を、しばしば深く考えざるを得ない。
※ 本書の結びに、日本においては正統な意味での近代すら経験していないのだから、ポストモダンなど数百年早い(とは言っていなかったが)というようなことが書いてあった。日本に必要なのはむしろ近代だと。まったく妥当な主張なのだが、今更日本だけ純粋な近代を経験することはできない(思われる)わけで、なんともいかんともし難い。

レヴィ=ストロース入門 小田亮
タイトルどおりレヴィ=ストロースの入門書であり、構造主義の入門書でもあるが、「親族理論」「神話理論」といういわゆる構造分析に加えて、「ブリコラージュ」について触れられているのがよい。
「ブリコラージュ」とは、器用仕事とか寄せ集め細工などと訳され、要するところ限られた持ち合わせの雑多な材料と道具を間に合わせで使って、目下の状況で必要なものを作ることを指している。ブリコラージュする人のことをブリコルールと言う。フランス語かな。
この「ブリコラージュ」概念は非常に興味深い。この概念、いやこの概念を用いて、著者が言いたいこと、これを個人的には以下のように理解している。
1 何かに達しようとする際に、専門的に用意された直接的な道具や、知識や、述語やそんなものが無くとも、有り合わせの材料から目的に達することはできる。
2 何かに達しようとする際に、専門的に用意された道具などは、その用途のほかには役立たない脆いものである。
3 とにかく何でも新しいものを、新しい概念を、新しい知識をと要求するのは間違いで、その新しさは何千年と繰り返された人間の営みの単なる言い換えにすぎないことがよくある。新しいことをしていると勘違いしてはならない。表面上の形式にとらわれてはならない。先進社会の最新知を未開社会が無意識的に実践していることを私は証明した。知のモルモットになることを避け、獲得した知識経験から思考することが大切なのだ。それがよく生きることだ。
4 専門化、部分化(画一化といってもいい)の徹底はあらゆる物事にとって好ましくない。個人的(フォーディズムの弊害よろしく)にも、人類の文化にとってもだ。あらゆる物事にとって大切なのは、主体が「全体性を知って」行動できること、世界が「多様」であることである。

レヴィ=ストロース講義 C.レヴィ=ストロース
あらゆる思想ややり方について謙虚であること。懐疑的であること。世界観的多元主義、文化相対主義(教授言うところの、第三のヒューマニズム)の視点を、テーマを移ろいつつも常に訴え続ける、これだけは言いたいのである、そんな講義です。
講義内容は、誰にでもわかりやすいテーマ設定と、誰にでも優しい語り口で貫かれていながら、それでいてその徹底して謙虚な姿勢に、底知れない知性を感じる内容。
哲学と法学を経て人類学へ到達したレヴィ=ストロース教授。上のような姿勢の基底には、すべてを懐疑する哲学者の生い立ちが、やはり色濃いのである。
とてもやさしい内容で、皆さんに薦めたいと思います。
参考に本文目次。
第一講 西洋文明史上主義の終焉―人類学の役割
人類の歴史と人類学
人類学とは何か
客観性と全体性を求めて
第三の人文主義・人類学
人類学者は何をなしうるか
人類学の未来―質問に答えて
第二講 現代の三つの問題―性・開発・神話的思考
共通言語としての親族関係
「未開社会」の人口受精
低開発とは何か
超自然をもつ社会
神話の意味するもの
「未開社会」と現代文明の接点―質問に答えて
第三講 文化の多様性の認識へ-日本から学ぶもの
人種決定論の誤謬
文化が遺伝を決定する
累積的社会・停滞的社会
文化相対主義と人類学
日本文化の位置-質問に答えて
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