
週末に親族旅行で有馬温泉を訪れた。
恥ずかしながら、初めての有馬での「温泉」体験。温泉地のイメージに反して、宿泊地までの道ほどが非常にスムーズなことにびっくり。全行程が二車線ある。狭い道を行き来することなく目的地に達することができるよい環境という印象をもった。
それにしても結構賑わっているのですね。そこそこ事前に申込みをしても、日程調整が難儀な様子で、「いるところにはいる」「あるところにはある」を肌で感じる。古きを知るものに言わせれば、今がどんなかは知らないけれど。
さて、今回の旅行は、私達夫婦と子供、そして双方の両親が参加。総勢七名の小旅行である。メンバーからも推測されるとおり、双方の両親が、孫に面会する一機会を設定するためにあるような旅であり、よって私達夫婦はいわばおまけであり、「なんのことはない」とか「ある意味気楽」とかいうたぐいの旅行である。
この旅行、それはそれで非常に楽しみにしていたものであるが、楽しみにしていたとおりに進行したことはひとつ置いておいて、気になったことだけを少し。
1 高齢社会
(1) ミクロ
今回のメンバーは団塊の大人が四人に、団塊ジュニアの若輩が二人、そして輝ける希望が一名である。奇跡的な経済成長の軌道は、種々要因を孕んで人口の爆発と収縮という軌道を伴うというが、今ここにそれを実証する。私の双方の両親にとって、孫はいまだに一人だけ。これから増えるだろうが、いかにもスローペース。昔ならば、もっとわいわいしていたんだろう。
(2) マクロ
今回の宿、お客が皆団塊か、それ以上の世代。温泉という嗜好も多分に影響していると思うが、やはり若い人が非常に少ない。ロビーにおいても、ラウンジにおいても、風景はそのような世代が形作る。日本の、少しだけお金が必要な嗜好の場においては、そのような世代がいよいよ元気である。
それは非常にいいことでないか、頑張ってきた人間には老後をふんだんに楽しんでもらおうではないか、、、、かような楽天的な落ちでは済まされない、ひとつ日本社会の黄昏がそこに射しているような、きっとそんな気がする。
2 社会(文化)の継続性
旅館の窓から、構造物であり、意匠でもある鉄骨の柱を眺めると、塗られて時間が立ち今度は剥がれようとしている塗料が、ひらひらと風をうける。そうだ、上塗りがされていないのだ。
有馬にはいったいいくつの温泉旅館があるのだろう。有馬を訪れるものが、人口増加と、経済成長と、結果としての可処分所得・時間の増加に沿ってどんどんと膨らんだ時代には、それを吸収して利を得ようと、旅館が立つ。建物が建つ。
しかしこれからゆるやかに人口が減少し、人々の経済もおそらく縮小するこの国で、温泉街だけが、永遠の特性を保持できる理由はない。現在において建物のメンテナンスに費用をさけない多くの旅館は、将来において経営そのものに人的・物的資源を供給することができず、そしておそらくは建物の処分にすらエネルギーは供給されずにその行く末は定かでない。この頃、大阪市内で古びたオフィスビルや老朽化した区分所有のマンションを眺めて思われる同じ不安ともののあわれが、このような「陽のあたる場所」にすら垣間見られたことは、旅行気分を時折現実に引き戻すに充分であった。
不必要に大きな体は、その維持に自身を悩ませ、ほどなく自壊をする。
爆発は必ず収縮を引き起こす。
永遠の成長など夢見るものではない。永遠の成長など無いのだ。
西洋近代から持ち込まれた永遠の成長神話にそろそろ終章を書き込み、継続可能な物語を日本に綴ろう。
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