
さて皆さんこんにちは。今日は読書関係で。写真の本は以下のとおり。
「靖国問題の原点 三土修平 日本評論社」
経済学が本拠地の著者が,,,,
「いわば片手間の仕事として勉強し,まとめたものであるから,新たな第一次資料の発掘作業などには時間を費やしておらず,,,,,既刊の邦語文献からだけでも少なくともこの程度のことは言えるのだということを示しておくことは,問題のこの側面に十分に注意を払って物を書く人が少ない現状を考えるとき,意義がなくはなかろうと考えて,あえてつたない発表を,,」
などと自己弁護と自己の切込みの新規性を主張しながら,そのテーマである靖国問題,すなわち著者が定義するところによると,
「戦前に国歌の施設であった靖国神社が戦後は民間の一宗教法人として存続することになった事実と,にもかかわらず同神社の公的復権を求める社会的勢力が存在する事実の結果として生じた諸問題の総体(具体的には,靖国神社の国家護持法案が国会に上程された事実,廃案後にその迂回戦術として行われた首相閣僚の公式参拝運動,それに応えた中曽根康弘,小泉純一郎元首相の参拝と中韓の抗議,国や地方自治体の神社神道への肩入れに対する一連の政教分離訴訟などを包摂)」
について論じたものである。
著者は,戦後の日本社会には,靖国問題をめぐって,以下ような二つの立場が対立する構造が一貫してあったことに言及する。一つは「謀略史観」でありもう一つは「せっかく史観」である。これらを個人的に要約するに,,
謀略史観は,先の戦争をやむを得ざる選択,アジア開放のための独立戦争として位置づけ,東京裁判は戦勝国が事後法によって戦敗国を裁いた不当裁判であるとする。GHQは,日本の古きよき伝統を破壊するために占領政策を執り行い,神道指令や宗教法人令,そして厳格な政教分離をセットで行使して,日本の国体ともいうべき神道を破壊した。結果として日本人の高貴な性質は瓦解した。靖国の国家護持は日本人の本能の覚醒であって,国家のために命を捧げた人々に哀悼の誠を捧げることは当然であるばかりでなく義務ですらある。これを否定する勢力は国家制度へのただ乗りといわなければならない,,,というようなもの。
せっかく史観は,日本の敗戦は悲しいことであるにしろ,せっかく戦後改革によって基本的人権の尊重される民主的な国家を創ったのに,それをなし崩し的に否定しようとする勢力が陰に隠れて暗躍と策動をつづけ,戦後60年を経ていよいよ国家の前面に出でようとしていることは誠に憂慮すべき事柄である。ものごとを悪いほうへ悪いほうへとひっぱり,再びわが国を軍国主義の侵略国家へと変貌させようとしている。平和を叫ぼう。平和を願おう。そうすればおのずと平和がやってくるのだ,,,というようなもの。
次に著者は,靖国問題を取り巻く歴史を紐解く作業に入る。
すなわち,日本の汎神論,アニミズム的古神道がいかに悠久の歴史をもち,伝統的あるものであるかはひとまず置いておいて,神仏習合が行き渡った幕末から,明治維新,王政復古を経て神仏分離,廃仏毀釈,大教宣布の詔,神道国教化の太政官達し,,,へと続く,記紀神話を基礎とした国家神道神社神道への傾注がいかに熾烈なものであったかを説いた後,さらに時代を下って,ポツダム宣言を受諾し大東亜戦争に終止符が打たれて以降,GHQが,特別参謀本部民間情報教育局を設置して,靖国神社や神社神道の問題にどのようなスタンスで取組み,占領政策を実践してきたか,また世界情勢の変化を受け占領期間中そのスタンスはどのように変化していったか等について,当時の資料に基づいて詳述する。一般には連関をもって語られる神道指令と宗教法人令の改正についても,史実をたどってその因果性を否定する。戦後改革の中で,靖国神社側にも一定限度自由意志が担保されていた事実も指摘する,,,
さて,靖国問題を定義し,その対立構造を明らかにしたうえで,問題の基礎となる歴史を確認した。
いよいよ本題である。本書のタイトルたる靖国問題の原点はいかに??著者は,その「靖国問題の原点」と,加えて原点から生じた「靖国問題の本質」,そしてその「解決方法」について,およそまとめると以下のように述べている。
1 靖国問題の原点
結局のところ著者は,これを占領軍の詰めの甘さに求める。すなわち,靖国神社をはじめとする国家神道思想を,一宗教としたうえで,厳格な政教分離をかぶせておけば,論理上,間違っても「戦前的なもの」である国家的復古はないであろうと考えた占領軍の甘さである。これが何を意味するかといえば,つまり面白いことに,信教の自由を逆手にとって,まさにその反対物とも言える国家神道思想が温存されたのである。占領軍が日本人の神道的精神性や伝統を読み違えた,最後まで理解し得なかったとも言える。また占領軍が絶対の価値として掲げる信教の自由を日本から奪うことは,自己の寄ってたつ基本的思想という基盤を失うことになるから出来なかったとも言える。また,中国の内戦,朝鮮戦争勃発,日本赤化阻止という種々情勢を鑑みたとき,様々な考慮も必要になったのであろう。がしかしこれが,靖国問題の原点,原因に相違ない,と言う。
2 靖国問題の本質
津地鎮祭訴訟,山口自衛官合祀訴訟,箕面忠魂碑訴訟,岩手靖国違憲訴訟,愛媛玉串料訴訟,,これら一連の訴訟において争われているのは,実は政教分離そのものではない。本来政教分離訴訟の原告側が問題にしたいのは,政教分離などではない。
原告側,せっかく史観側が言いたいことは要するにこうだ。すなわち,本当に言いたいことは,とにかく神社神道思想を潰せ,ということに尽きる。天皇は日本国家そのものであるとするならば,天皇の私は全国民の公,天皇のための死が特別名誉なものとして意義づけられるという意味での公がまかり通る国家になることを阻止したいということである。神社神道思想は,個人の信教自由の原則のもとにある一宗教でありながら,その本質の演繹からは,天皇に直結した公を強制することが導かれるという公私の矛盾をはらんでいるのだから,その根本思想を潰せと言いたいのである。だから政教分離は神道との関係においてのみやたらと問題化するのだ。
しかしGHQがそうであったように,現行憲法における基本的人権を金科玉条とする自己の立ち位置からは,思想そのものを潰せということなど言えるはずもなく,政教分離という形式論で攻撃せざるを得ない。これが問題の本質である。
すなわち本当はせっかく史観側も,国家の英霊に哀悼の誠をささげることの大切さを理解しないものではない。そのことの公共性を理解しないものでもない。しかしそれを少しでも認めようものならば,「神道的かつ公共的」を認めてしまうものであり,自分達の論陣が音を立てて崩れるが故,国家建設,維持,発展に掛け替えのない命を捧げた英霊に,ごく当たり前の感謝の意を表明することができない。これが客観的には,非人間的な態度として,謀略史観側のみならず,ごく一般的な国民の目にすらまた理解しがたいものとして映るのである。
謀略史観側は謀略史観側で,一部純に国粋主義的な思想を除いて,記紀神話よりの日本の正当な歴史観を教育し,世界に類をみない天皇を戴くすばらしい価値を自覚し,愛国心,公共心や,自己のよってたつ社会への帰属意識を醸成し,社会の全体性を理解せしめるというごくまっとうな思想を社会に啓蒙しようにも,悲しいことに,それが一宗教の枠に閉じ込められているが故に,公的になりえない。せっかく史観側の主張がいかに形式的でイビツなものであれ,法的闘争では不利な状況にある。
以上のようなことで,両陣営は相容れない。これが本質である,と言う。
3 解決方法
著者のこの問題に対する解決方法の提案はこうである。靖国神社は,一宗教法人として,国家や公と距離をおいてやっていくべきである,と。実にシンプルである。分析が詳しい割には,いわばせっかく史観側に立った,なんとも簡素な結論である。本書は靖国問題の解決ではなく,靖国問題の原点とタイトルするものであるから,それも致し方ないか。しかし著者は,最後はいわば「論理的」に結論したといわざるを得ない。
さて,最後に読後感を。靖国問題,またそれのみならず憲法改正,教育基本法改正等の一連の問題に関しては,私は,例外的であり,また制御可能性もある人権軽視人命軽視というワーストケースを避けるがために,すなわち起こりえないかもしれないワーストケースの発生可能性を回避するその一点のために,社会的動物である人間にとって本当に大切な「情緒」「全体性の理解」「社会の相関関係の理解」「自己の帰属するものへの忠誠心」「規律」「規範意識」「道徳倫理」「思いやり」などという大切な概念を,ほぼ確実に大きく喪失させるような本末転倒な手法をとること,制度を創ることは,首肯しがたいと常々考えている。
だからこそ,本書の結びも少し寂しいのである。
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