先日,ある事業者の破産事件で,テナント物件の明け渡しを代行した。破産申立書の作成に付随する行為として。こういったことは,事業者の破産事件においてはままあることである。
テナントの明け渡しをするには,物件内の荷物を業者に頼んで綺麗に運び出し,看板等の営業用の物品を撤去し,リース物件を債権者に引渡し,場合によっては多少綺麗に掃除をする,といった種種の作業が必要になる。
すなわち,賃貸契約の解約に伴う明け渡しにおいては,契約に別段の定めがない限りに置いて,賃貸物件を原状に服して返還しないといけない。要するに,貸したときの状態に戻してかえしてよ,という当たり前のことである。
もっとも,通常使用による損耗によって,賃貸物件が汚損毀損している場合には,それはそのままでよいことになる。貸し主が貸さずにもっていたとしてもそうなっていたものであるから。
さて,その明け渡しの作業現場には,しばしば色んな利害関係人がお見えになる。その代表はもちろん債権者であり,必然的に誠意ある説明をする必要性が生じる。今回も例に漏れず。
ところでしばしば債権者のお話を伺うにつけ,その主張にもっともである,と頷かざるを得ないケースがある。債権者に圧倒的な理があることがある。営業上の債権はともかく,個人の信頼関係に基礎をおく債権である場合,その程度は顕著だ。しかし,専らその債権が民事に係るものであり,また優先弁済を受けうる債権でない場合,やはり他の債権者と同様の取扱いをせざるを得ない。これは誠に申し訳ないことであるが,そうせざるを得ないのである。
そのようなケースに遭遇するたび,破産手続とはいったい何なのだろう,誰のために,何のために存在するのだろう,青臭いことを言えば何が正義か,などと考えてしまう。
この点,破産法のいわゆる教科書や実務書を紐解くならば,破産,とりわけ「免責制度」の目的については,以下のようなことが言われる。すなわち,破産免責というのは以下のようなことを期して正当化される,と。
・ 破産者の経済的再建に資する。すなわち破産者がきっちり反省して適正手続を経るならば,新たに仕事をしてもらい健全な経済単位と化してもらうほうが,社会経済的にプラスになる。破産者が永続して底辺に甘んじるならば社会保障コストも増大化する。
・ 免責がないとすると窮した債務者は不正をしやすくなり社会的害悪である。
・ 債権者が,債権者破産を脅迫的取り立てに利用するようになり危険である。
・ 免責が得られないとするならば,事業リスクは非常に高まる。故にリスクをとって事業を起こす者は減り,新しい投資意欲は減退し,資本主義経済の発展を阻害する,等々。
なるほど確かにそうなのだろうと思う。確かにそうなのだから,債権者が有する権利が満足を受けられなくなるその経済的負担は,誰かが,この破産手続を取巻く人間模様のうち,まさに誰かが受認しなければならないのだろうと思う。結局はそこに収斂される。
そこで答えが必要になる。この経済的負担を誰が負うのかについての答えが。
債務者が負うか,それは有り得ない。まさに支払不能であるからだ。司法書士や弁護士が負うか,それも有り得ない。では,裁判所が負うか,すなわち国民の税金が負担するか,これも一般国民の理解は到底得られない。つまり,債権者に帰するほかない,,,
マクロにおいてはすんなりと納得できるこの演繹も,個別具体的事件に接する身としては,「そうでもないよ」と思う事件もあるのであり,故に毎日悩むのである。
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