皆さん御機嫌よう(最近使わないなこの表現は!),いかがお過ごしですか。当事務所は,事務所移転作業も完了し,年末を迎える準備万端です。新しい事務所の使い勝手にも慣れ,ぎこちない動作も十分スムーズになりました。気分のよい年末になりそうです。
さて,今回も,前回に続いて仕事の話。11月19日に,東京霞ヶ関の日弁連会館に,日弁連主催の金利(サラ金等の貸し出し金利のこと)に関するシンポジウムに参加してきましたので,少しその報告を。
当日は,事務所のスタッフとともに出席しました。当事務所は,クレジットサラ金事件を比較的たくさん取り扱っているので,業界周辺の知識を持っていてもらいたかったからです。朝8時すぎに王寺町を出て,霞ヶ関についたのが正午すぎ。急いで食事をかきこんで,少し早めに会場に到着,テーブル付のよい席をゲット?することに成功しました。
次第の詳細報告は割愛しますが,最初のセレモニーにおいて,奈良県選出の参議院議員である前川清茂氏が登壇し,政治のリアリティについて理解せよ,と厳しく会場に訴えたのにまずインパクトを感じました。政治のリアリティを理解しなければ,社会変革はできないと。 この場合の政治のリアリティとは何を意味するのかと言えば,弁護士会や司法書士会がどのように理論的に立派な主張をしようとも,常時何百もの陳情を抱える政治家は,何の金にもならない,そしていくらの票にもならない者からの意見など一笑に付すだろう,いや目にすることもないだろう,というようなこと。確かにそうだろう。
なぜこのような挨拶をするかといえば,前川氏も弁護士であり,少なからず消費者問題に取り組んでこられ,現在も国会で消費者問題に取り組んでおられる。そして今回のシンポジウムが,来年に見直しの迫った「出資法」(サラ金業者が警察に捕まらないでとることができる利息の最高限度を定めていると理解してください)の上限金利の引き下げ等,およそ金利規制をより厳しくし,消費者が多重債務に陥ることがない社会を実現しようというという趣旨のシンポジウムであるからで,主催者や参加者にリアリティを訴え,叱咤激励を飛ばし,やはり同様の社会を実現したいと望む想いからなのだろう,と私は理解しました。
その後,資料を参考にしながら,理論的な基調講演が三名の弁護士からなされましたが,諸外国,とりわけ韓国,アメリカ,ドイツ,フランスにおける金融業界の現状(金利規制と社会状態)についての調査報告についてはとても興味深く感じました。
しばし休憩後,パネルディスカッション。登壇者は,日弁連より宇都宮健児弁護士,日本司法書士会連合会より中里功司法書士,行政より長野県消費生活センター所長高橋加代子氏,学会より金城大学助教授大山小夜氏,マスコミより中日新聞名古屋本社記者白井康彦氏の五名でした。
議論の内容は,およそこの仕事に携わっているものであればほぼ理解の範疇にあるものでそれほど目新しいものではありませんでしたが,今般の出資法の見直しを控え,サラ金業界がロビー活動を展開する「金利自由化運動」およびその論拠とする主張を,一つずつ丁寧に潰ていく作業であって,知らない観点からの考察にも触れることができたので,とても有意義だったなあと思います。
中でも,中日新聞記者である白井康彦氏の主張はとても核心をついていたと思います。氏はもちろん法律の専門家ではありませんが,記者として,消費者問題をライフワークとしておられるようで,一般の良識ある大人(白井氏に失礼かな)の目で現在のサラ金の隆盛と多重債務問題を見たとき,ありえないほどおかしい社会的な事実が当たり前のように存在している,という趣旨の発言をされていました。また,そのような趣旨で統一された資料を提出されていました。
やはりそうなんです。現在の社会状態は極めて不健全だと言わざるを得ません。サラ金創業者が軒並み資産家として極めて上位に名前を連ねている事実,,,これ自体は,それのみをもって不適当なものではありません。 ただ,社会における自由は,やはり他害をしない範囲において認められるものであるはずです。たとえば電機メーカーが電気製品を開発販売をして巨額の利益を得る。結果として巨万の富を得る。これは現在の社会からいえば何ら問題のないことです。電機メーカーは営業利益を得,購入者は使用利益を得る。極めて健全だと思います。 しかし,サラ金業者の隆盛は,同じ理屈で捕らえることができるでしょうか。私は否であると思います。日本における年間の自殺者は三万人を超え,その三分の一が経済苦,すなわち多重債務に起因するものです。その他多重債務は債務者の人間性を破壊し,離婚や様々な家庭問題,さらには刑事事件の重大な原因となっていることに疑いはありません。 すなわち,サラ金業者の巨額の利益は,債務者の命や,人格や家庭の崩壊,そして刑事事件から生み出されているのであり,またそれらを生み出す源泉となっているわけであります。 これが許されてよいのでしょうか。自由は他害をしない範囲でのみ認められるべきである。財産的自由は,社会状態をかんがみ,合理的範囲においてのみ認められるべきである。この命題に照らし,現在の社会的不均衡は,許容されるべきものでしょうか。そうではないはずです。 もっとも,多重債務に陥る側に全く問題がないわけではありません。大きく問題がある場合もあるはずです。ただし,それだけで語り尽くすことができるほど,この問題は簡単でないことを,ぜひ皆さんにも知ってもらいたいと思っています。
さて,そのようなパネルディスカッションをもって当日のシンポジウムは終了。
会館を出ると,とても冷たく薄暗い冬が押し寄せてきました。冬は,人気のない休日の官庁街を圧倒的に支配していて,私たちは凍えそうになりました。その暗闇の奥には,ライトアップされた法務省の姿が美しくありました。 法務省,外務省,その他官庁,そして国会議事堂で日常を過ごす人たちの心が,冬の寒さで冷え切って,社会的な問題に冷たく心を閉ざすことが無いよう,切に願う帰路でありました。
今日はこれまで。
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