非常に哀しいこと。
みなさんこんにちは,中尾です。前に記事を書いてから,すこし期間があいてしまいました。 実は,先週22日の火曜日に祖母が亡くなったので,事務所をスタッフに任せて明日香の実家に戻り,通夜,告別式と一連の行事を経験していました。 というわけで,この一週間は,事務所を空けたことにより,関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことを,まずお詫び申し上げたいと思います。
しかしあれですね,親類の死というものは,心に真っ黒な穴があいて,なんとも受け入れ難いものです。 また,その黒い穴からは,故人に対する様々な想い出という風が勢いよく吹き出しているので,正面を向いて闇を直視することも,なかなか出来ないのです。 ただ,直感的に判断できるのは,その黒い穴を小さくして次第に埋めていくのは起こってしまった出来事についての合理的な解釈などではなく,単に過ぎ去る時間のみである,ということです。
この経験について感じること,改めて決意したことはたくさんあります。しかし,それらの想いや決意は,ごくごく私的なことであったり,また,古今東西言い古されてきたことの確認であったりするので,これ以上記すのは止しましょう。
ただ一つ。
世の中は信じることが出来るものである。努力と成果のバランス,苦労と幸福のバランスは,きっと保たれているはずである。 以上のような,希望も含めて社会を好意的性善的因果的に捕らえる私の価値観からすれば,諸事情により10年に渡って床に伏した祖母が,10年という気の遠くなるような長期間に渡り,息子夫婦,特に私の母の献身的な看護・介護を受けることができたのは,きっと祖母が,戦後一所懸命に苦しい時代を生き,立派に子育てをやりぬいたからに違いない思っています。
そうであるならば,自己を犠牲にして私という子を何不自由なく成人させ,さらに姑の介護を最後までやり抜いた私の両親の人生は,まだ人生としてのバランスがとれていないはずです。 これからの人生を,専ら自分のために,何に心を煩わせるでもなく過ごし,さらに「楽しく」「嬉しく」「感動的」なものとすることによって,少しでも振り子を元に戻してもらいたい。
それを実現するのが,私の義務であるし,また,希望でもあると思っています。
・・・ずいぶん重くなりましたが,今週からまた元気に仕事をしますよ!
どちらかと言えば喜ばしいこと。
前ここでも書きましたっけ?奈良県司法書士会の新しい会館を建てていることについて。建てているといってもまだ目的地に会館の姿はなく,今日やっと起工式をやったんです。 会館の規模にあわせて,ごくシンプルなものでしたが,伝統的な手続を踏むことは,手続の節目を確認する意味からも,有意義だと思いました。
さて,奈良市の小さな土地に,間もなく会館がだんだんと姿を現わします。私の事務所でも居宅でもないという意味では全くの私有ではないですが,民間企業の本社や公共建築物ほど他人性が強いわけでもなく,司法書士会会員である限りは,一定の持分権,利用権があるような不思議な建築物。
数ヶ月後,一体どんな気持ちで足を踏み入れることになるのでしょうか。
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